なにをしても楽しめない

 

2021-5/21(金)

タイトル

「なにをしても楽しめない」

です。

 

ありがとうございます。

・・・愛しています。スピカになりたいアベリーの安部です・・・^^ ♪

 

お陰様で素敵で運が良いと思える日が続いています。それもひとえに皆様との ご縁のたまものです。心から感謝しています。

 

 

今日のブログはいつもより、長文になってしまいました。

それだけ、深いテーマだったのかもしれません。

 

さて、「なにをしても楽しめない」・・・

その楽しめない心は、なぜ湧くのでしょうか?

考えてみたいと思うのです。

 

そのむなしい心のは何なんでしょう。

何もすることがない

もうやりたいことは終わっている

もう楽しいことを考えられない。

などなどあるでしょう。

 

・楽しみを待つ、時間が暇で退屈になってしまう。

・予定していた楽しみがなくなってしまった。

・わざわざ時間を作ったのに、やることなくなってしまった~なんて。

それと反対に

・楽しい時間が終わったあとの空虚。

 

などなど

時間に合わせて待っていたものや、時間に限りがあって楽しみの時間が終わってしまった。なんてことは、いつでも起こりうることです。

時間には限りがあって、その時間に振り回されて、退屈になってしまう。

この程度のことであれば、楽しみの時間は、また作れがば良いかもしれませんが、意外に落ち込んでしまうのが人間でしょう。

 

上記は、時間の限りでそうなってしまったもので、気持ちの切り替えでどうにでもなると伝えます。

しかし、

・退屈でしょうがない毎日で、目標をもてなくなってしまった。

これが問題でしょう。

時間も何も関係ない、根本的に何をしても楽しめない。

今日は、この状態について話したいと思います。

 

先に少し、話がズレますが、

ある映画を見たときに、金も名声も手に入れて、なにもかも自由になる人が、次にもともめたものが人の恐れで殺意(殺し)だった。

なんて映画を見たことはないでしょうか?

ここまでくれば、楽しみなんて何なのか?わからなくなってしまいますよね。

人間存在そのものが欲であり、そのもの自体を否定して正しいことがわからなくなる。最後には自分が死ぬならよいのですが、人を殺してしまう。

権力者に起こりがちなストーリーでしょう。

これは、これから話す。虚無がもたらす一例にすぎません。

話を更にかえて・・・

また、何もしないことを楽しみに感じて、寝たいとか、ぼ~っとしているのが楽しみなんて人もいるでしょう。

結局、

人は何を求めて、なにを目的に生きているのか?

考えさせられます。

 

さて、ここで誰にでも起こりうる

「人生に虚無を感じている」

について話したいと思います。

とにかく、何もやる気が出ない人も居るでしょう。

 

何をやってもつまらない・・・

実はこれは対処できない退屈で、この気持ちを持ち始めると人生そのものがつまらなくなります。

多くの人の中には、この対処しようがない退屈を脳内で作ってしまって、ああ~ぁ、つまらないなぁ~って言葉にしています。

自分だけなら良いのですが、他人をも退屈にさせてしまっています。

たぶん本人もこの退屈を軽視しているから、気づいていないのでしょう。

まだ、退屈を自覚していて、このままではいけない。って...

何か変えたい自分がいる人は、きっかけさえあれば楽しみを見つけられるから安心してください。

だって、退屈病に気づいているからです。

何かを求めているからです。

ところが・・・

いつも、つまらない~とか、退屈だ~とか、いつも口癖になっている人がいます。

話を聞いている人に共感を求めるとあくびが移るように、退屈が広がっていきます。

今日お話しは、まず初めに、特に根源にある退屈感を持っている人が、その退屈を口にして自ら落ち込んで、他人を引きこんでいることに気づいてほしいです。

なぜなら、

この退屈にかかった人は、退屈病の保菌者であり、感染源になっ,てしまう残念な人だからです。

ここで、耳が痛くなった人はこの先を読むのはつらいでしょうから、ここで辞めておくことをお勧めします。

 

読み進んでみたいと思った方へ

気づかない退屈病にかかった人へ伝えたい話を先にして、解決方法を考えてみます。

そのように伝えます。

 

もし、ご自身に自覚があるならまず、お願いしたいことがあります。

「退屈だー」「つま「らないー」「何をやってもうまくいかないー」「僕はだめな人間だー」なんて口癖のように言葉にしないでいただきたいのです。

口に出した言葉は現実になっていくからです。

自分をつまらないものにしてしまうだけでなく、聞いている人にも移してしまうからです。

ですから、まずご自身に問いてください。

あなたも口にしていないでしょうか?

これは、コロナウィルスより感染する、重病(ひどい病気)なのかもしれないのです。

せめて、人に感染させないように、マスクをする(笑)のではなく、「暇だー」とか「退屈だー」とか口にしない方法をとっていただきたいのです。

聞いた人が嫌な思いをするより、楽しみを分けられるように話が笑顔に満ちていた方が幸せでしょう。

たぶん口にしている人は、気づいていない・・・

それを楽しみに聞いている人も共感をしていて、なんだか矛盾しているようで、気づいていないでしょう。

共感すればするほど、退屈病にかかりやすくなって、退屈にひきづりこまれてしまいます。

退屈病になったら、口から出る言葉は「ひまだー」「やることがないー」「楽しくない」なんて否定言葉ばかりです。

そこから抜け出すのは大変なことです。

自分では抜け出せなくなってしまったら、だれかに誘ってもらうような他力本願な楽しみしか無くなってしまいます。

まだ、誘っていただけるだける人がいれば良いでしょうけど...

何も出来ない自分にただ虚無感を感じている人もいるでしょう。

その虚無感に共感を求めることで集まる人たちも結局、幸せになれないと思うのです。

不安と倦怠な人生なんてつまらないと思いませんか?

なにをしても楽しめない人の言葉は、「つまらない」「やるきがない」「だるい」「めんどくさい」なんてマイナス言葉ばかり吐く人の中にいても楽しくないでしょう。

繰り返すようですが自分を見つめ直す機会をつくってくださいね。

やっぱり、前向きに気持ちから変えるのが良いと思うのです。

 

僕の近くにこんな人が居ました。

言葉にしていても

死なないだけ、いい・・・

これを聞いたときに僕は何も言えませんでした。

僕の考えは少し違っていたのですが、共感している人に話しても仕方ないと思えたのです。

「そうだね」

って答えましたが・・・^^;

でも、ここで伝えます。

僕の考えは、楽しめない人は死を選ぶこともできずに、自分の置かれている環境に愚痴を言っているだけかもしれないと・・・

僕は、死の選択も自分が選ぶ幸福と考えればアリだと考えている人です。

「つまらない」

を決めるのは自身ですから。

これは、昨日話した、「あなたには私の気持ちがわからない」っていう人と同じように思えるのです。

aberry00.hatenablog.com

 

後の方で「死」について語るので参考にしてくださいね。

僕は、先に伝えたように、楽しめない自分は自分が作っていて言葉にすることで周りに悪影響を与えているとだけ伝えておきます。

 

では、この

退屈の根源に目を向けて対処方法は、何か考えてみたいと思います。

これは、僕のことなので、それぞれの楽しみを見つけてくださいね。

きれな花や景色を探したり、前向きな人にであうような行動をとって人に出会うのが良いと思うのです。

ゲームやカラオケで退屈をしのいでも良いのですが、これも時間とともに終われば虚無感に襲われると考えます。

そこで、この一時的なものでも思い出に残すものに変えると良いでしょう。

写真に残したりします。

快い心持ちを継続するには、過去のものでも楽しみを引き出せるように、心に残るものに変えると良いと思います。

キーワードは「心に残るもの」です。

僕の場合は、

「心に残るもの」を探して、

楽しみを見つける旅に出ています。

偶然に出会う行動をとることで、新しい人と出会ったり、楽しい場所に自ら足を運ぶと楽しくなります。

それを写真にするだけでなく、心に刻むように記憶に残します。

僕のアドバイスは、

空虚が虚無に変わらないうちに環境を変える旅に出ましょう。

出来るときに・・・

感じたときに・・・

です。

その中で、つらいことがあったとしても、その変化に生きていることを感じることが出来ればよいのです。

きっと退屈な人は、いつも同じ環境にいて変わらない自分を演出したり卑下していて、悲劇の主人公になりきっているのです。

変えられない自分をみずから作っているのです。

マンネリ化すると忘れていたはずの現実が強くなり、楽しく思えません。

これが、現実に起こり得ているのです。

趣味や娯楽、は一時的なものであり、それさえもマンネリ化を生んでつまらないものになっていくのかもしれません。

では、現実逃避ではなく、心底楽しむにはどうしたらよいのでしょう。

これは、思考の問題になるかもしれません。

「探す」・「考える」で解決できれば良いのですが、僕はこの方法をお勧めします。「本を読む」とか「知る」行動をとるとです。

僕はこのように考えています。

子供のころ、遊びを探していたように、友達と夕方まで遊んでいたように、与えられたものでなく、自ら遊びを工夫していたのです。

更に

虚無のような不安は、なんで生まれるのか?

それは死への恐怖なのかもしれません。

限りある時間は永遠ではありません。

足元を見て、限りある時間を有意義に過ごすことを進めたいと思います。

限りある時間の現実逃避から起こるこの虚無感が

「なにをしても楽しめない」理由でないかと考えているのです。

「人は死ぬ」を認めて命ある限り、時間を有効に過ごすことを考えてください。

それが、何をしても楽しめない解決方法になると信じています。

僕は、今日も明日死ぬと思って、今日を生きる考えをもっています。

その「今」の心が満たされる行動をとることが、未来につながると考えています。

死が不安だから不安を考えない現実逃避では、いつまでたっても解決しないでしょう。

もういちど言います。

「人は死ぬ」

それが明日かもしれません。

今日かもしれません。

この思いをもって、悔いがない「今」を生きてみましょう。

「永遠なものはない」を知りましょう。

 

変わらない!のではなく、

変える!のです。

二度とない「今」の楽しみを見つけていけばよいのです。

つまらないことを忘れるくらい没頭できれば、その時間は素敵な時間になります。

それがわからない?って...

大丈夫

このブログを読んだ、あなたなら気づけるはずです。

なんなら、僕と綺麗な花でも探しましょう。(笑)

きっとあなた自身が笑顔でいれば

今の楽しみを見つけて、一緒に過ごす仲間は、笑顔につつまれているでしょう。

不安に包まれて、つまらない人生を送るより笑顔でいたいですよね。

ですから、今の楽しみを見つけて将来につなぎましょう。

答えになったか?わかりませんが、

今日も「誰かの力になれればいい」って思ってブログを綴っています。

 

最後に・・・少し長くなってしまいます。

僕のこのブログを見てくれているか?わからないけど

青いバラの人へ

青いバラの下記は引用です。

青いバラ花言葉は「不可能」、「存在しないもの」など、マイナスのイメージでした。 しかし、2002年、バイオテクノロジーの力によって、日本の研究者たちが遺伝子の組み替えによって、ついに、世界初の青いバラを誕生させました。 花言葉は「夢かなう」。

 です。

そう!

青いバラの人は、「不可能」から「夢かなう」に目標を変えたんですね。

それは素敵なことです。

応援しています。

 

苦しみや、つらい思いは、他人には理解してもらえないのです。

そもそも、自分がそう思っているだけで、もっと大変な思いをしている人は、いるでしょう。

 

正しく導ける人を選んで相談するのが良いでしょう。

心の問題だから・・・

ここで僕からは、

タイトル「なにも楽しめない」とタイトル「あなたには分からない」

これらに共通していると思ったあなたへ

僕の答えでもある、

明日、「死ぬ」と思って今日を過ごして行動して、みたら自分の生き方に変化を得られるかもしれないと伝えます。

明日もあるだろうという惰性は今日が満足できない原因なのかもしれません。

いくらお金があって、娯楽に生きても心が満足しないのは、現実逃避があるからです。

ただしく死を見つめましょう。

植物や動物を飼うのも良いでしょう。

植物や動物にだって死があります。

だれにでも平等にある現実は死なのです。

ただ何もせずに待つ生き方を辞めて、

自ら心の満足を得る考えを持つことが解決になると思えるように・・・

自分にしかわららない事だと現実を受け止めてください。

「人は「生」をいただいて生きている」

だから手を合わせて「いただきます」という言葉から始めると良いかもしれません。

あなたが生きるのに犠牲になっている「生」があるのです。

今日僕は、卵を買ってきました・・・

 

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

最後まで読んでいただいた事に感謝いたします。

 

きっと明日が、未来が、楽しく明るく迎えられるように心からこの言葉を送ります。

 

それでは、皆さんお休みなさい。

 

・・・しあわせになろうね ☘ ポチッとな・・・(^^♪

 

 

 

 

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