さて、ビニールハウスをつくろうか。

2020-7/9(木)

 

タイトル

「さて、ビニールハウスをつくろうか。」

 

ありがとうございます。

・・・愛しています。スピカになりたいアベリーの安部です・・・^^ ♪

 

今日のお話は、2012年6月頃、ビニールハウスを自作で作った頃の話になります。

昨日話しました。

暗渠を掘って、土地を整備して水はけを良くし、畑にビニールハウスを2棟建てる前!のお話です。

僕は、土を利用した土耕栽培(どこうさいばい)をやるのでした。

土耕栽培は、畝(うね)と呼ばれる、土を高く盛った高い場所にイチゴを植える土で作る方法です。

その他に、高設栽培と言う方法があります。

高い位置にパイプで作るに受けを置いて腐らない、土に変わるな素材を使います。無機質なものもの長く敷きます。その培地には、ヤシ柄やロックウールと呼ばれる素材を使います。

そこに栄養分を溶かした水を一緒に流し込むのです。

水に養分を溶け込まして水で栽培する、養液栽培と呼ばれる方法は、いわば水耕栽培です。

こちらの方が収量(収穫量)が多く、作業性も優れています。

高設栽培は胸位の高い位置で作業が出来るので、土を盛って低い姿勢で作る昔ながらの土耕栽培方法より、進化していて楽な方法なのかもしれません。

ただし、設備にかなり投資金額がかかります。

 

僕は、土で作る土耕栽培を選びました。

自己資金が少なかったこともありますが、土で作る農業に魅力を感じていたのです。

思った通り、土で作られたイチゴは、それはそれは美味しいものでした。

さて、

土耕栽培を始めるのですが、その前にビニールハウスを作ります。

作る?

ビックリするかもしれませんが、自力で2棟、建てたのです。

約ですが、幅7m×奥行50m×高さ2.5mといった大きさでしょうか? 2棟建も建てたのでした。

この2棟建てたビニールハウスの他に、お借りした屋根型のビニールハウスが3棟あります。

全部で5棟です。

並びのハウスになります。

独自の方法でビニールハウスを建てました。

おっと!その前に・・・

ハウスを建てる前に、やった事がありました。

それはハウスを壊すことから始まるのでした。

ん? 

壊すとは?

疑問に思われた方は多いでしょう。

そう、現在建っている、ビニールハウスを壊しに行くのです。

建てるのではなくて先に壊しに行くのでした(笑)

解体と言った方が良いでしょう。 

それは・・・

イチゴ栽培をやめてく人からビニールハウスを頂くのでした。

実際にハウス栽培をやっている方が辞めると聞いて、そのハウスを頂きに上がるのでした。

高齢化が進む今の農業は、新しい農家さんが増えなければ衰退の一途をたどるでしょう。

話が横道にそれましたね。

僕は、辞めていく農家さんのハウスを2棟、解体しに行くのでした。

解体するハウスは最初予定では2棟でしたが、解体作業を見ていた近くの方が声を掛けてくれました。

「俺のところのハウスも持って行ってくれないか?」 

そう言うのです。

「いいよ! やります!」と快諾します。(笑)

解体するハウスは3棟になりました。^^;

 

丁度このころ、ひとりのバイトの子を頼みました。

さすがに3棟解体して、運ぶに一人では難しかったです。

このバイトの子と出会ったことが。僕にとっては良かったことです。

彼は、B型の知的障害を持つ子でした。

体はいたって健康ですが、言葉と理解力に掛けていました。

でも、そんな彼は、僕にとっては縁の下の力持ちになってくれたのです。

障害者・・・

農業はこのような人達にとっては、働く環境は良いでしょう。

しかし、受け入れ側に余裕がないと、難しく厳しい現状にあります。

今の農家さんは早く効率よく仕事をする方向性にあります。

のんびり農家は、ほとんど居ないと考えてよいでしょう。

そうなると使われる側も大変です。

しかし彼は、僕にとっては必要な存在になります。

そして、いずれ正社員になるのでした。

 

一般の農家さんは、人を雇い入れるほど余裕がありません。

僕自身、障害者をこれより先に何人か受け入れるのでしたが、3作を終えて雇う現状が厳しくなってしまいました。

特に農協のやり方に異議を持つようになってから雇い入れるのが難しくなるのでした。

農協のせいではありませんが協同組合と方向性を違えたのです。

これは僕が勝手に思っている事ですが、大量生産・大量出荷で食べていく農家さんの末路は早かれ遅かれ消えていくでしょう。

農協は、僕と考え方に違いがありました。

それは、やり方の違いになっていきます。

自身のやり方で、組合の中ではお店を持つ事を良しとしてくれないのです。自分が生産そして販売できるものでないのです。

農業協同組合は、市場(いちば)へ共同出荷を目的にしています。

生産農家さんを助ける楽な仕組みですが、その楽な仕組みにお金がかかるのです。別の意味で搾取されていると感じている農家さんも居るでしょう。

だからと言って販売が出来ない農家さんは、今の仕組みを利用するしかないのです。

大きな共同組織には逆らえない、村八分になってはやっていけない悲しい仕組みを作ってしまったのです。

こんなことを言うと僕は、農協を毛嫌いして辞めた人間なのでパッシングを受けると思います。

でも、本当のことを言ってつまはじきにされる分には、致し方ないでしょう。

新しく農業を始める方は、この仕組みを利用するか?しないか?を先に選択した方が良いと考えます。

共同生産・共同出荷では、作ったものは農協に納める。それが今の協同組合組織なのです。もちろん自分で販売してはいけないのです。

僕は、

このような農協工場に入らなければいけない国の方策にも疑問を感じています。

組織を守ることが国土を守ることになっている方策の駄作さを感じ得ずにはいられません。

僕は、思うのです。

大量生産・一定品質を保とうとする工場のような組織の中にいては、大量に作らされる社員のようなものです。

そこには、主体性がないのです。

僕が目指す6次産業化とは、まったく違うものです。

今なら言えます。

僕は6次産業を目指しました。自分が作ったものは自分で販売することが6次産業化につながります。

そのためには、農業を小さく始めて自ら販売まで出来るようにしていくのです。

 

僕が今、思うことは自身が目指す農業と違っていたと。

これも人生の続きなので、また機会あれば別の形の農業を目指したいと思うのです。

 

あれ!

ちょっと夢中になって話してしまいました。

横道にそれまくって、しまいました。

ここから障害を抱える彼と2人で、3棟のハウスを解体して自分の農場まで運んぶのでした。

 

今日のお話しはこれで終わりです。

 

読んでいただいて、ありがとうございます。

「 僕はスピカになりたい」

それでは、皆さん… さようなら

 

・・・しあわせになろうね。 ポチッとな・・・(^^♪

 

 

 

 

 

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その他の壊した3棟のハウスの部材を利用して、2棟のビニールハウスを完成させるのです。

部材は、全て塗装しなおします。

 

 

利用して、を自ら立てたのです。

ハウスを建てる前に

それこそ、ビニールハウスを3棟壊して、部材を頂くのでした。

伊豆の国のこの地域では高齢化により辞めていく人は多いのです。

 

 

 

ハウスを壊すにもその部材を使って立て直すので全て手作業でやるのでした。

 

ビニールハウスは、1棟新築で建てるのに設備も入れて300万円と言われています。

 

これは、新設でハウスを建てて、それに必要な機材をいれるのに必要な金額です。

一反(たん)は、田んぼ1枚分です。

 

約17m(幅)×50m(奥行) 1反(たん)と呼ばれる面積で

 

さて、僕はと言うと・・・

暗渠を掘って作業し始めた頃、ひとりで全てこなすのは困難と感じ始めた居ました。

今の農業の在り方で、農作物をつくるには、最低でも2人の人手が居ます。

何故かと言うと・・・

 

農業をひとりで作業するには非常に困難です。

この農業に携わる前に言われた、条件の一つに奥さんがいること。

がありました。

 

ひとりでは難しいと言われていた意味が少しわかるので

 

1人の障害者を雇い入れたのです。

彼と一緒に作業するのでした。

彼は良く働いてくれました。