断捨離と「もったいない」
2021-5/12(水)
タイトル
「断捨離ともったいない」
です。
ありがとうございます。
・・・愛しています。スピカになりたいアベリーの安部です・・・^^ ♪
お陰様で素敵で運が良いと思える日が続いています。それもひとえに皆様との ご縁のたまものです。心から感謝しています。
さて、今日のお話ですが、僕自身がやっていること「もったいない」ですが、その前に・・・
断捨離の反対言葉を知っていますか?
調べてみたのですがよくわからないです💦
僕は「もったいない」だと思ったのですが...
ではないらしいです。
では、「もったいない」の反対語は何でしょう。「勿体ある」ん?
ってなってしまったのです。
「もったいない」も断捨離のそれぞれが相反する反対語ではありません(^^;
では、断捨離の反対言葉はなんでしょう。
今もわからないでいます💦
社会が豊かになって、「物のあるべき姿/物の本質的なもの」が物が溢れることで失われて、不要なものを捨てる断捨離のような言葉がでてきたのかもしれませんね。
Wikipediaでは、こんな風に書かれていました。
「断捨離」のそれぞれの文字には、ヨーガの行法(ぎょうほう)である
・断行(だんぎょう)
・捨行(しゃぎょう)
・離行(りぎょう)
に対応し、
断:入ってくる不要な物を断つ。
捨:家にずっとある不要な物を捨てる。
離:物への執着から離れる。
という意味がある。
すなわち「断捨離」とは、不要な物を「断ち」「捨て」、物への執着から「離れる」ことにより、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を開放し、身軽で快適な生活と人生を手に入れようとする思想である。ヨーガの行法が元になっているため、単なる片付けとは異なるものとされている。
上記Wikipediaを端的に解釈すると物に執着しないことから来ているようですね。
「もったいない」の反対は「物惜しみしない」なのであっているようにも思えるのですが、なんだか言葉遊びのようですね。
さて僕は、
こんな前置きをしておきながら
「もったいない派」なんです。(笑)
物惜しみも「けち」という解釈だとこれを僕に重ねると僕自身はちょっと違うと思えます。
「けち」には心の貧しさがあります。
物乞い的な貧しさだったり、分け与えることができなかったり、です。
そういう意味では心の貧しさと金銭的な貧しさの違いがあるでしょう。
深く考えれば考えるほどわからなくなってきました。^^;
以前僕はこんなブログを書きました。
今の僕は、この時と同じなのかも知れませんね。
物を大切に使う、工夫して使えるようにする気持ちは、最近だんだん強くなってきました。
リサイクルする考えは、サイクルを回すことに置き換えます。
断捨離のような捨てて必要なものだけ最小限にする考え方は、物だけの解釈では、整理して使いやすくする僕のもったいないも似ていそうです。
買いそろえるまでのスパンが短い断捨離とは、その速度が速いか遅いかの違いなのではないかなぁ? って考えるのです。
僕は遅い・・・相当遅い・・・
「もったいない」も「断捨離」も本当は真を見極めることにあるのだと思うのです。
ゆとりある暮らしがいい。
物がなくなれば僕の場合、心が寂しくなりました。
断捨離のような捨てて新しく買う回転方法より、捨てないで変える方法をとったのです。
工夫してより良いものに変えて使ったり、販売してお金に換えたりすることでサイクルを回しています。
ゆとりある暮らしの中では捨てて一新するのが断捨離で、変えて得る心の満足「もったいない」の違いです。
心の満足は断捨離も「もったいない」も僕のなかでは一緒なんです。
そして、捨ててから必要なものを取りそろえようとしても、捨てなければ良かったと思いが発生してしまうと、なんだか心寂しくなります。
考えもなく断捨離をすれば片付けもしやすくなります。
ようは・・・
心の問題なのかもしれません。
「断捨離」も「もったいない」も心に置き換えると「ゆとりある暮らし」を得る意味では、どちらでも良いのです。
同じように感じます。
ただ、僕はもったいない派です。(笑)
物の豊かさが心の豊かさにつながっているような気がしているのです。
物を大切にする・しない・が心の問題なら、僕は解き放たれています。
固執ではなく、工夫して使うなのです。
または、不用品を対価に変えるのです。
そこには人間関係が生まれることを感じています。
昨今、リサイクルショップといったお店が大きな企業に成長していると感じたいるのは僕だけでしょうか。
僕自身が個人リサイクルショップになれば良いのだと考えています。💦
やはり僕はサイクル早さの問題だと考えるのです。
人それぞれ個性があるようにスピードも違います。僕はのんびりしているのでそのサイクルを回すのが遅いのでしょう。
そのサイクルはゴミがあったときにゴミ箱に捨てる。この考えは同じですが、ゴミ箱に入っている間に使える方法を変える一時保管場所になっているので
僕のゴミ箱は一時保管場所です。
それには、期限を設けたいと考えています。
例えばジモティーのようなサイトでお金に換えるのが良いでしょう。
または、よりよいものに変える工夫をしていくことが良いと考えています。
それを貧乏性とは言わないでしょう。
そして、記憶を捨てるつらさをもう一度考えてみたいと思うのです。
身の回りの物を整理する(捨てる)必要に迫られるのも心が乏しいと思えるのは僕だけでしょうか?
結局、タイミングと心の両立があって、どちらにせよ。
心豊かになることが大切なんだと考えます。
記憶の中には大切にしたい思い出もあるでしょう。
今の僕は、まず捨てる前に工夫して使うことから始めます。
それが捨てるが先か後かの違いだから心の問題と捉えているのです。
生活が豊かになるのは、幸福という言葉と同じように求めてたどり着く答えです。
それが、「断捨離」でも「もったいない」でも良いのです。
人は幸福を求めています。
ですから、その行動が違えども心が豊かになる選択をすればよいのです。
なんだか、まとまっているようでまとまっていないようで、恥ずかしいのですが、
「僕はもったいないで、心を捨てることをしない」と結論づけて今日の答えとします。
断捨離と「もったいない」このお話は、
なにごとも後悔しないことにつながるのです。
そこが僕のスタートです(笑)
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございます。
最後まで読んでいただいた事に感謝いたします。
きっと明日が、未来が、楽しく明るく迎えられるように心からこの言葉を送ります。
それでは、皆さんお休みなさい。
・・・しあわせになろうね ☘ ポチッとな・・・(^^♪